2011年12月30日

幸せになるキーワート゛/鈴木 秀子 11364

幸せになるキーワート゛ [単行本(ソフトカバー)] / 鈴木 秀子 (著); 致知出版社 (刊)


★★★★★



いつからか、「致知」の後半くらいに

さりげなく連載されている、「幸せになるキーワード」。

いつしか熟読するようになった。

これをまとめた本を見つけてくる。



どこの誰にでも、小さな美しい良心というものがあって、

自分の中のそれに氣づく、人の心の中に氣づくこと。

それが「幸せ」というものなのかなぁ、と感じる。

幸せはどこかにあるものじゃない。

自分の中に、自分の周りに幾らでも転がっている。

それに氣づけるかどうか、なのだと。




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2011年12月26日

己を修め人を治める道/伊與田 覺 11360

己を修め人を治める道 [ハードカバー] / 伊與田 覺 (著); 致知出版社 (刊)


★★★★★




再読。



致知や安岡正篤先生の本に度々登場する

「大学」。

この「大学」を真剣に学びたいと思っている。



 日々自分の身を修め、更に世のため人のために

 尽くしてやまないような人物を大人(たいじん)と申します。

 その大人となるために最も手近な古典が「大学」です。


「人間学」を求めて渉猟してきたが、

どうやら「大学」に「それ」があるらしい。

一つ一つの話やエピソードに面白さは感じるけど、

二度くらい読んだだけではまだまだよく分からない。



この本も何度も読むべし、だ。


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2011年12月23日

心に響く小さな5つの物語 2 (「小さな人生論」シリーズ)/藤尾 秀昭 11357

心に響く小さな5つの物語 2 (「小さな人生論」シリーズ) [単行本] / 藤尾 秀昭 (著); 片岡 鶴太郎 (イラスト); 致知出版社 (刊)

★★★★★




自分は何と恵まれているのだろう、

と感謝しつつも申し訳なさまで感じてしまう本。




 「足なし禅師」と呼ばれる禅僧がいた。




 小沢道雄師。

 大正九年生まれ。

 幼少期、曹洞宗の専門道場で修行。

 二十歳で召集を受けて満州へ。

 昭和二十年、二十五歳で敗戦。

 シベリアに抑留され強制労働。

 だが、肩に受けた銃創が悪化し、

 役立たずは不要とばかり

 無蓋の貨車で牡丹江の旧日本軍病院に後送される。




 氷点下四、五十度の酷寒に夏服のままで、

 支給された食料は黒パン一個、

 飲み水もままならず、

 三日間を費やした行程で死者が続出した。

 小沢師は死こそ免れたが、両足が凍傷におかされた。

 膝から切断しなければ助からない。




 その手術の担当軍医は内科医で、外科手術はそれが初めて。

 麻酔もない。

 メスを執った軍医が

 しばらく祈るように目を閉じた姿を見て、

 小沢師はこの軍医に切られるなら本望だと思い定めた。 


 想像を絶する激痛。

 歯がギリギリ噛み合い、

 全身がギッシと軋んで硬直した。

 すさまじい痛みは1ヶ月余続いた。




 八月に突然の帰国命令。

 歩けない者は担架に担がれ、

 牡丹江からハルピン、奉天を経て胡廬島まで、

 千五百キロを徒歩で行くことになった。


 だが、出発して3日目の朝、

 目を覚ますと周りに誰もいなかった。

 満州の荒野に置き去りにされたのだ。

 あらん限りの大声で叫んだ。




 折りよく通りかかった

 北満州から引き上げ途中の開拓団に救われたのは、

 僥倖というほかはなかった。


 崖っぷちを辿るようにして奇跡的に帰国した小沢師は、

 福岡で再手術を受け、故郷相模原の病院に送られた。

 

 母と弟が面会に来た。




 「こんな体になって帰ってきました。

  いっそのこと死のうと思いましたが、

  帰ってきました。」




 言うと、

 母は膝までの包帯に包まれた脚を撫で、

 小さく言った。




 「よう帰ってきたなぁ。」




 母と弟が帰ったあと、

 小沢師は毛布をかぶり、声を殺して泣いた。


 懊悩の日は続いた。

 氣持ちはどうしても死に傾く。

 その果てに

 湧き上がってきた思いがあった。


 比べるから苦しむのだ。 

 比べる元は二十七年前に生まれたことにある。

 二十七年前に生まれたことを止めて、

 今日生まれたことにしよう。

 両足切断の姿で今日生まれたのだ。
 そうだ、本日たったいま誕生したんだ。

 足がどんなに痛く、足がなく動けなくとも、

 痛いまんま、足がないまんま、動けないまんま、

 生まれてきたのだから、何も言うことなし。  
 本日ただいま誕生!  


 深い覚悟である。


 一. 微笑みを絶やさない
 一. 人の話を素直に聞こう
 一. 親切にしよう
 一. 絶対に怒らない




 小沢師はこの4つを心に決め、五十八年の生涯を貫いた。

 命の炎を燃やして生き抜いた足なし禅師の人生だった。


 「主(あるじ)」という字の「`」はロウソクの炎。

 「王」は台のこと。

 

 自分のいる環境を照らして生きる人のことを、

 「主」と言う。




 命の炎を燃やして生きるとは、

 自分が自分の人生の主人公となって生きることである。




「致知」は難しいのは仕方ないけど、

このくらいの文章ならば小学校五年生の娘にも

何か感じてもらえないだろうか。



最近ハリーポッターしか読まない長女に、

是非読んで欲しい。

娘と、この感動を分かち合える時が来ることを祈っている。


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2011年12月19日

教育勅語の真実―世界から称賛される日本人の美質を育んだ/伊藤 哲夫 11353

教育勅語の真実 世界から称賛される日本人の美質を育んだ|伊藤哲夫|致知出版社|送料無料

★★★★★



戦前の教育を受けた父は、

酔っ払うとたまに「教育勅語」を暗唱しだすことがある。



若き頃は「???」と思っていたが、

論語の素読などを経験するにつれ、

教育勅語が醸し出す芳香を感じるようになってきた。



この本は、その教育勅語が生まれた時のエピソードや、

教育勅語の意味を語っている。



おそらく、父はわけもわからないまま、

強制的に暗唱させられたのだろう。

でも、「よきものを(意味が分からなくても)ひたすら覚える」

というのは実によきことだと思う。

時代を生き抜いてきた古典の

「詰め込み教育」は大賛成!である。



改めて教育勅語を読むと、

その格調の高さ、意味の深遠さから、

これは「古典」と言っても差し支えないのではないか、

と感じた。



武道が必修になったこの勢いで、

教育勅語も初等教育に復活して欲しいものだ。

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2011年12月06日

小さな人生論・4 (小さな人生論シリーズ)/藤尾 秀昭 11340

小さな人生論・4 (小さな人生論シリーズ) [単行本] / 藤尾 秀昭 (著); 致知出版社 (刊)


★★★★★



書斎で一人じっくり読みたい、「小さな人生論」。

その4巻目。



何度読んでも感じ入るのが、この話




 喜びの種をまく

 仏法に「無財の七施」という教えがある。
 財産が無くても誰でも七つの施しができる、
 喜びの種をまくことができるという教えである。
 財産が無くて、どうして施しができるのか。何を施せるのか。

 『雑宝藏経』は、
 「仏説きたもうに七種施あり。財物を損せずして大果報を得ん」
 として、七つの方法を示している。

  一は「眼施」──やさしいまなざし。
  二は「和顔悦色施」──慈愛に溢れた笑顔で人に接する。
  三は「言辞施」──あたたかい言葉。
  四は「身施」──自分の身体を使って人のために奉仕する。
  五は「心施」──思いやりの心を持つ。
  六は「床坐施」──自分の席を譲る。
  七は「房舎施」──宿を貸す。

 大きなことでなくともいい。
 人は日常のささやかな行いによって喜びの種をまき、
 花を咲かせることができると釈迦は教えている。
 自らのあり方を調えよ、という教えでもあろう。

 「無財の施」の教えで思い出すことがある。
 生涯を小中学生の教育に捧げた東井義雄先生から
 うかがった話である。

 ある高校で夏休みに水泳大会が開かれた。
 種目にクラス対抗リレーがあり、
 各クラスから選ばれた代表が出場した。
 その中に小児マヒで足が不自由なA子さんの姿があった。
 からかい半分で選ばれたのである。
 だが、A子さんはクラス代表の役を降りず、
 水泳大会に出場し、懸命に自分のコースを泳いだ。
 その泳ぎ方がぎこちないと、
 プールサイドの生徒たちは笑い、野次った。
 その時、背広姿のままプールに飛び込んだ人がいた。
 校長先生である。
 校長先生は懸命に泳ぐA子さんのそばで、
 「頑張れ」「頑張れ」と声援を送った。
 その姿にいつしか、生徒たちも粛然となった。

 こういう話もある。
 そのおばあさんは寝たきりで、すべて人の手を借りる暮らしだった。
 そんな自分が不甲斐ないのか、世話を受けながらいつも不機嫌だった。
 ある時一人のお坊さんから「無財の七施」の話を聞いたが、
 「でも、私はこんな体で人に与えられるものなんかない」と言った。
 お坊さんは言った。
 「あなたにも与えられるものがある。人にしてもらったら、手を合わせて、
 ありがとうと言えばよい。言われた人はきっと喜ぶ。
 感謝のひと言で喜びの種をまくことができる」。
 おばあさんは涙を流して喜んだという。

 「喜べば喜びが、喜びながら喜び事を集めて喜びに来る。
  悲しめば悲しみが、悲しみながら悲しみ事を集めて悲しみに来る」
 ──若い頃、ある覚者から教わった言葉である。
 喜びの種をまく人生を送りたいものである。

 最後に、東井先生からいただいた詩を紹介したい。

 雨の日には 雨の日の
 悲しみの日には悲しみをとおさないと見えてこない
 喜びにであわせてもらおう
 そして
 喜びの種をまこう
 喜びの花を咲かせよう
 ご縁のあるところ いっぱいに



仏教の教えである「七施」。

心に刻みたい言葉である。

何も持たない身でも、人様に施しが、人様のお役に立てるのだ。



背広姿でプールに飛び込む校長先生。

A子さんにとっても、目撃した他の生徒達にとっても、

これほどの学びと与えられる勇氣があるだろうか。



喜びの種は、誰もが持っている。

人様の為にまけるかどうか、は自分次第だ。


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2011年12月04日

父親のための人間学/森 信三 11338

父親のための人間学 [ハードカバー] / 森 信三 (著); 寺田 一清 (編集); 致知出版社 (刊)


★★★★☆




4歳の次女が肺炎で入院し、

母親が付き添いとして病院に泊り込んで世話をした。

1週間ほど、十歳の長女と父親の二人きりの生活となった。



女の子も十歳ともなるといろいろと多感な様で、

何かと難しくなる。

他人事かと思いきや、我が娘にもそのような時期が来たらしい。



父親として私は長女からどのように見えているのだろう。

彼女らに何を残せるのだろうか。

そんなことを自らに問いかけながら、読む。



私自身、両親のことを本当に有り難く思ったのは

自らも親になったとき。

頭では分かっていても、肌感覚で感じるようになったのは

そんなに昔の話ではない。



1週間弱ではあったが、長女は「母親代わり」を見事務めた。

料理、炊事、掃除、洗濯、アイロンがけやお父さんへのお茶まで

本当によく頑張った。

「お母さんのありがたさ」はちょっとは感じてくれたかな。

「あなたの成長」をお父さんはとても感じたよ。



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2011年12月01日

致知 2011年12月号:特集「孔子の人間学」 11335

致知 2011年12月号:特集
「孔子の人間学」




★★★★★



今回のテーマは「孔子」「論語」。

論語の識者たちが多く登場する。



皆さんが論語を引用しながら、

ご自分の体験などを絡めて語るのだが、

意外と知らない名言が多いことに驚く。



論語に関する本は結構読んでたつもりだったけど、

「つもり」だったんだな。

ちょっと反省し、改めて論語を勉強しなおそう、と思った。



それにしても残念だったのが、本書に触発され、

長女に「久々に論語の素読でもしようか」と言ったところ、

嫌がられてしまったこと。

どうやら恥ずかしいのか。

最近素読をさぼっていたことは、大いに反省。


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2011年11月28日

安岡正篤 心に残る言葉/藤尾 秀昭 11332

安岡正篤心に残る言葉|藤尾秀昭|致知出版社|送料無料

★★★★★




致知出版社藤尾秀昭社長が語る、

安岡正篤先生論。



 人は何のために学ぶのか。安岡正篤師は言っている。




 学は己の為にす

 己を為(おさ)むるは安心立命を旨とす

 志は経世済民に存す

 志を遂ぐるは学に依る

 学に依って徳を成し材を達す

 成徳達材を立命とす




 人は自分を創るために学ぶのだ。

 そして、人生のあらゆる艱難辛苦にあっても動じないように

 自分を為めていく。

 自分を創るのは利己のためではない。

 自己の徳を大成し、自己の才能・能力を練磨、

 向上させていかねばならない。

 それが学の本質である。

 成徳達材することによって、よりよき運命を創って行くのだ。

 ―安岡師の言葉は明快である。



「なぜ、そんなに学ぶことが好きなの?」

とたまに問われることがある。

「好きなものに理由は無い」ので答に窮するのだが、

今度もし聞かれたら、こう答えよう。




 本物にしびれる



 「人は何にしびれるか。

  何にしびれるかによって、その人は決まる。

  中江藤樹は『論語』と王陽明にしびれていた。

  人間は本物にしびれなければならない」


「本物にしびれる」ああ、実にいい言葉だね。

本を貪り読むのは「本物」に出会いたい、しびれたい。

一行でいいから「しびれる」文に出会いたい。

その一心からに違いない。

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2011年11月21日

小さな人生論・3 (小さな人生論シリーズ)/藤尾 秀昭 11325

小さな人生論・3 (小さな人生論シリーズ) [単行本] / 藤尾 秀昭 (著); 致知出版社 (刊)


★★★★★




何度も読み、何度も噛み締めている

この「小さな人生論」シリーズ。

熱いものがこみ上げてくるので、

自宅の書斎で一人きりで読むことにしている。




 切に生きる

 ある時、弟子が師の道元に聞いた。
 「人間は皆仏性を持って産まれていると教えられたが、
 仏性を持っているはずの人間に
 なぜ成功する人としない人がいるのですか」
 「教えてもよいが、一度は自分でよく考えなさい」
 道元の答えに弟子は一晩考えたがよく分からない。
 翌朝、弟子は師を訪ね、ふたたび聞いた。
 「昨晩考えましたが、やはり分かりません。教えてください」
 「それなら教えてやろう。成功する人は努力する。
  成功しない人は努力しない。その差だ」
 弟子は、ああそうか、と大喜びした。
 だがその晩、疑問が湧いた。
 仏性を持っている人間に、どうして努力する人、
 しない人が出てくるのだろうか。
 翌日、弟子はまた師の前に出て聞いた。
「昨日は分かったつもりになって帰りましたが、
 仏性を有する人間に、どうして努力する人、
 しない人がいるのでしょうか」
 「努力する人間には志がある。
  しない人間には志がない。その差だ」
 道元の答えに弟子は大いに肯き欣喜雀躍家路につく。
 しかしその晩、またまた疑問が湧いた。
 仏性のある人間にどうして志がある人とない人が生じるのか。
 弟子は四度師の前に出て、そのことを問うた。
 道元は言う。
 「志のある人は、人間は必ず死ぬということを知っている。
  志のない人は、人間が必ず死ぬということを本当の意味で知らない。
  その差だ」
 道元の逸話である。
 この逸話を彷彿とさせる道元の言葉が「正法眼蔵隋聞記」にある。


 「道を得ることは、根の利鈍にはよらず、人々皆、法を悟るべきなり。
  精進と懈怠とによりて、得道の遅速あり。
  進怠の不同は、志の至ると至らざるとなり。
  志の至らざることは、無常を思わざるなり故なり。
  念々に死去す。畢竟じて且くも留まらず。
  暫らく存ぜる間、時光を空しくすごすことなかれ」
 (道を得るかどうかは生まれつきの利発さや愚かさによるものではない。
  修行する人は皆必ず悟りに達することができる。
  ただ一所懸命になって精進する人と、
  怠けてやる人との間には当然早い遅いの差が生じる。
  精進するか怠けるかは志が切実かどうかの違いによる。
  志が切実でないのは、無常を思わないからだ。
  人は刻々と死につつある。こうして生きている時間を大切にして、
  自分を磨いていかなければならない」


 切に生きるとは、ひたすらに生きるということである。
 いまここの一瞬一瞬をひたむきに生きるということである。
 小我を忘れ、何かに懸命に打ち込むことである。
 その時、生は本然の輝きを放つ。
 是の処は即ち是れ道場
 ―苦しい死の床にあるこの場所も自分を高めて行く道場。
 道元はこの言葉を唱えながら亡くなったという。
 「はかない人生を送ってはならない。切に生きよ」
 ―道元が死の床で私たちに残した最期のメッセージを
 噛みしめたいものである。



この言葉が素晴らしい。



 是の処は即ち是れ道場



当然ながら道場での稽古だけが自分を磨くものではない。

一瞬一瞬、常に自分は道場にいる。



 切に生きよ



一日一日、この言葉を噛み締めて生きていくことが出来れば、

人生はどれ程光り輝くものになるであろうか。


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2011年11月14日

小さな人生論2 (小さな人生論シリーズ)/藤尾 秀昭 11318

小さな人生論 「致知」の言葉 2


★★★★★




「致知」は大事な人に是非プレゼントしたい雑誌だ。



ただ、表紙や佇まいからすると、

馴れない方にはちょっと怪しい雰囲氣に

感じられることもあるようだ。

よって、相手を選ばないと差し上げられない(笑)。



でも、この小さな人生論シリーズは、良い。

価格的にも読みやすさも手ごろで、

これくらいなら相手の負担にもならないだろう。

だがしかし、期待は裏切らない。

このシリーズをエントリーとして、

致知の購読に繋がってくれればと願いながら、

さりげなく差し上げたい、一冊。



 喜怒哀楽の人間学



 少年は両親の愛情をいっぱいに受けて育てられた。

 殊に母親の溺愛は近所の物笑いの種になるほどだった。




 その母親が姿を消した。

 庭に創られた粗末な離れ。そこに籠もったのである。

 結核を病んだのだった。

 近寄るなと周りは注意したが、母恋しさに少年は離れに

 近寄らずにはいられなかった。




 しかし、母親は一変していた。

 少年を見ると、ありったけの罵声を浴びせた。

 コップ、お盆、手鏡と手当たり次第に投げつける。

 青ざめた顔。長く乱れた髪。荒れ狂う姿は鬼だった。

 少年は次第に母を憎悪するようになった。

 悲しみに彩られた憎悪だった。




 少年六歳の誕生日に母は逝った。

 「お母さんにお花を」と勧める家政婦のオバサンに、

 少年は全身で逆らい、決して柩の中を見ようとはしなかった。




 父は再婚した。少年は新しい母に愛されようとした。

 だが、だめだった。

 父と義母の間に子どもが生まれ、少年はのけ者になる。

 少年が九歳になって程なく、父が亡くなった。

 やはり結核だった。




 その頃から少年の家出が始まる。

 公園やお寺が寝場所だった。

 公衆電話のボックスで体を二つ折りにして寝たこともある。

 そのたびに警察に保護された。

 何度目かの家出の時、義母は父が残したものを処分し、

 家をたたんで蒸発した。




 それからの少年は施設を転々とするようになる。




 十三歳の時だった。

 少年は知多半島の少年院にいた。

 もういっぱしの「札付き」だった。

 ある日、少年に奇跡の面会者が現れた。

 泣いて少年に柩の中の母を見せようとした

 あの家政婦のオバサンだった。

 オバサンはなぜ母が鬼になったのかを話した。

 死の床で母はオバサンに言ったのだった。




 「私は間もなく死にます。

 あの子は母親を失うのです。

 幼い子が母と別れて悲しむのは、

 優しく愛された記憶があるからです。

 憎らしい母なら死んでも悲しまないでしょう。

 あの子が新しいお母さんに可愛がってもらうためには、

 死んだ母親なんか憎ませておいたほうがいいのです。

 そのほうがあの子は幸せになれるのです」




 少年は話を聞いて呆然とした。

 自分はこんなに愛されていたのか。

 涙がとめどもなくこぼれ落ちた。

 札付きが立ち直ったのはそれからである。

 作家・西村滋さんの少年期の話である。




 喜怒哀楽に満ちているのが人生である。

 喜怒哀楽に彩られたことが次々に起こるのが人生である。

 だが、その表面だけを掬い取り、

 手放しで受け止めてはなるまい。

 喜怒哀楽の向こうにあるものに思いを馳せつつ、

 人生を歩みたいものである。

 

 その時、人生は一層の深みを増すだろう。

 われわれが人間学を学ぶ所以もそこにある。

 

 中江藤樹の言葉がある。

 「順境に居ても安んじ、逆境に居ても安んじ、

  常に担蕩々として苦しめる処なし。

  これを真楽というなり。

  萬の苦を離れてこの真楽を得るを学問のめあてとす」





母親の深い愛。

お手伝いのオバさんとの奇跡の邂逅。

その意味や因縁を感じ取る少年の心。



なんと人生は素晴らしいことか。



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2011年11月07日

致知 2011年11月号:特集「人生は心一つの置きどころ」 11311

致知 2011年11月号
:特集「人生は心一つの置きどころ」



★★★★★



今回も、相変わらず、充実した内容。

テーマは言わずと知れた、中村天風先生のお言葉。



今回、特に印象に残った記事は



 【巻頭の言葉】
 ◎水到れば渠成る
 伊與田覺(論語普及会学監)


 【対談】
 ◎吾、相撲の道を極めん
 --力士の大成は師友の切磋琢磨に待つ--
 納谷幸喜(大鵬)(第48代横綱)
 白鵬 翔(第69代横綱)


 【インタビュー】
 ◎はじめにフィロソフィあり
 伊藤謙介(京セラ相談役)


 ◎経営の神様とともに歩んだ 松下むめのの心の持ち方
 高橋誠之助(松下幸之助元執事)


 【インタビュー/人生は心一つの置きどころ】
 2、使命感の強さが世界記録を塗り替えた
   土田和歌子(車椅子マラソン選手)


 ◎驚異の105歳・現役園長 人生は自分自身との戦いである
 昇地三郎(しいのみ学園理事長・園長)


 【対談】
 ◎極限状況を生き抜いたフランクルの生き方に学ぶもの
 鎌田 實(諏訪中央病院名誉院長)
 永田勝太郎(財団法人国際全人医療研究所理事長)



・・・あれ、前半はほとんどじゃない、という層の厚さ。



でも武道家の端くれとしてはやはり、

大鵬、白鵬の夢の対談かなぁ。

「木鶏」や「庖丁」の話、この二人から聞くと迫力あるなぁ、

これで双葉山までご健在で鼎談だったらもっと興味深いなぁ、

と思いながら。



「融通無碍の境地」にいつかは自分も

辿り着いてみたいものだ。


タグ:致知
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2011年10月25日

小さな人生論/藤尾 秀昭 11298

小さな人生論/藤尾 秀昭 11298
テーマ:致知/人間学を学ぶ月刊誌

小さな人生論/藤尾 秀昭

¥1,050
Amazon.co.jp
★★★★★



致知の巻頭にある、1ページのメッセージを集めた、

「小さな人生論」。

もう一度、読み直したいと思った。



私の座右の言葉、「一燈照隅」。

この本の最初に、この言葉が登場する。



 一隅を照らす


 「古人言く、径寸十枚、これ国宝に非ず。
  一隅を照す、これ則ち国宝なり、と」


 伝教大師最澄『天台法華宗年分学生式』の冒頭に出てくる言葉である。
 これは最澄の師、唐の湛然の著『止観輔行伝弘決』にある
 次の話を踏まえている。


 むかし、魏王が言った。
 「私の国には直径一寸の玉が十枚あって、
  車の前後を照らす。これが国の宝だ」。
 すると、斉王が答えた。
 「私の国にはそんな玉はない。
  だが、それぞれの一隅をしっかり守っている人材がいる。
  それぞれが自分の守る一隅を照らせば、車の前後どころか、
  千里を照らす。これこそ国の宝だ」
 と。


 この話にこもる真実に深く感応したのが、安岡正篤師である。
 爾来、安岡師は「一燈照隅」を己の行とし、この一事を呼びかけ続けた。


 「賢は賢なりに、愚は愚なりに、一つことを何十年と継続していけば、
 必ずものになるものだ。別に偉い人になる必要はないではないか。
 社会のどこにあっても、その立場立場においてなくてはならぬ人になる。
 その仕事を通じて世のため人のために貢献する。
 そういう生き方を考えなければならない」


 その立場立場においてなくてはならぬ人になる、一隅を照らすとはそのことだ、
 という安岡師の言葉には、私たちの心を奮起させるものがある。


 国も社会も会社も自分の外側にあるもの、向こう側にあるもの、
 と人はともすれば考えがちである。だが、そうではない。
 そこに所属する一人ひとりの意識が国の品格を決め、
 社会の雰囲氣を決め、社風を決定する。
 一人ひとりが国であり社会であり会社なのである。


 世界が激しく揺れ動いているいまこそ、
 一人ひとりに一隅を照らす生き方が求められているのではないだろうか。




一燈照隅を己の行とする、とは素晴らしい言葉だ。


小さな小さな燈、なのかも知れない。
でもまず自分が片隅をも照らさなくて、どうする。

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2011年10月18日

一流たちの金言/藤尾秀昭監修 11291

一流たちの金言 [ハードカバー] / 藤尾 秀昭 (監修); 致知出版社 (刊)

★★★★★




日本電産の永守重信社長やイチローなど、

各界の「一流」たちの金言が登場するのだが、

最後の「雪絵ちゃん」の話でみんな吹っ飛ぶ。



何と美しく、何と悲し、何と力強い話なのだろう。。。




 「雪絵ちゃんとの最後の約束」


 山元加津子(特別支援学級教諭)


 雪絵ちゃんは十二月二十八日、
 雪のきれいな日に生まれた女の子で、
 多発性硬化症(MS)といって、
 頭の中のいろいろな部分が硬くなっていって、
 目が見えなくなったり、耳が聞こえなくなったり、
 手足が動かなくなったりする病気でした。

 だけど雪絵ちゃんはいつも
 「雪絵はMSでよかったよ」と言うんです。

 「MSだから気づけた素敵なことがあるし、
 車椅子だからこそ知っている素敵なことがいっぱいあるよ。
 だからMSの私を丸ごと愛するの」って。


 私はそんな雪絵ちゃんが大好きで、
 学校を離れてからもずっとお友達で、
 「きょうはこんなことがあったよ」と話しては
 「かっこちゃん、よかったね」と言ってくれていました。

 でも、病氣はどんどん進行して、
 ほとんど手足が動かせなくなってしまいました。


 (中略)


 雪絵ちゃんは十月に大きな再発があり、
 意識不明になりました。

 そして十二月二十三日にはまた再発するのですが、
 翌日私は出版の件で一年前から
 韓国に行くことが決まっていたので、
 小松空港へ向かったのです。

 ところが、とってもいいお天氣なのに
 飛行機が飛ばないのです。
 韓国の出版社の方にお電話したら


 「おかしいですね、羽田便も福岡便も出ていますよ。
 こっちもとても天気がいいのに」


 と。仕方がないので、次の二十六日の便で行くことになりました。
 そして二十六日の九時、出発の準備をしていたら、
 電話のベルがなりました。
 雪絵ちゃんが亡くなった報せでした。


 お家へ駆けつけると、雪絵ちゃんは眠るような
 優しい顔で横になっていました。

 お母さんは


 「雪絵はきょう亡くなろうと
 決めていたんだと思います」


 とおっしゃいました。
 お正月になったら遠くの病院に
 転院することが決まっていて、
 お家が大好きな雪絵ちゃんはかつてその病院には
 行きたくないと言っていたそうで、
 「きっと二十八日の誕生日もお正月も家で過ごそうと
 思ったんだと思います」と。

 私は韓国に行かなければいけない事情をお話ししたら、


 「雪絵は先生と行った温泉旅行が
 すごく嬉しかったみたいですから、
 形見のものを持って、雪絵を連れて行ってください」


 といくつか雪絵ちゃんのものをくださって、
 それを手に私はお通夜もお葬式にも出ないで旅立ったんです。

 韓国に着いてからも私は短かった雪絵ちゃんの
 人生を思っていました。


 「MSでよかった」と言っていたけれど、
 本当は強がって言っていただけなんじゃない?
 本当はつらい人生だったんじゃない?


 そんなふうに思っていたのですが、
 偶然持っていた荷物の中に、
 雪絵ちゃんがつくった詩がありました。




  誕生日


  私、今日うまれたの。


  一分一秒の狂いもなく、今日誕生しました。


  少しでもずれていたら、今頃健康だったかもしれない。


  今の人生を送るには、一分一秒のくるいもなく
  生まれてこなければいけなかったの。


  結構これって難しいんだよ。


  一二月二八日、私の大好きで、大切で、しあわせな日。


  今日生まれてきて大成功!


  「すのう」に生まれてきて、これもまた大成功!


     ※すのう=雪絵ちゃんのペンネーム




 私は悲しくて悲しくて、日本に帰ってきてからも
 ご飯も食べられなかったし、夜も眠れませんでした。


 「これからは一体誰が私の話を聞いて
 “よかったね”って言ってくれるの」


 みたいな自分勝手な思いになっていたんです。

 このままじゃ自分自身がダメになってしまうなと感じた時、
 最後に雪絵ちゃんと話した日のことを思い出しました。


 「かっこちゃん、きょうはどうしても
 聞いてほしいことがあるの。
 いまから言うことは、絶対にダメとか嫌とか言わないで」


 と何度も念押しするんですね。


 「いいよ、何でも聞くよ」


 と言うと、雪絵ちゃんは私にこう言ったんです。


 「前にかっこちゃんは病氣や障がいは大事だって言ったよね。
 人間はみんな違ってみんなが大事だということも
 科学的に証明されているとも言ったよね。

 それを世界中の人が当たり前に知っている世の中に、
 かっこちゃんがして」


 “世界中なんて、そんなこと私には無理”と言いかけた時、
 雪絵ちゃんに


 「何にも言わないで。何でも聞いてくれるって言ったよね」


 と言われて、私は


 「分かったよ」


 と約束したんです。

 そうだ、雪絵ちゃんとの約束を果たさなきゃ。
 この思いが私に再び立ち上がる力を与えてくれました。
 そして本や講演を通じて、多くの人にそのことを
 伝えたいと思うようになったのです。

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2011年10月13日

国家の実力/佐々 淳行 11286

国家の実力 [ハードカバー] / 佐々 淳行, 渡部 昇一 (著); 致知出版社 (刊)

★★★★☆




致知の2011年6月号で特集が組まれていた

「危機管理の第一人者」佐々淳行さんと渡部昇一さんの対談本。



この本を読むと「危機管理能力」のあまりにも低い国に

住んでいることが怖くなる同時に、

なぜ日本では「危機管理能力」の低い人が偉くなるのか、

(=「危機管理能力」の高い人が偉くなれないのか)

がとても不思議に思えてしまう。



「政界に人がいない」とはどこでも言われているのだが、

国や地方レベルでも丹念に見ていけば、結構政界にも「人」はいる。

ただ、選挙でもポロポロと負けたり、「それなり」の役職に就かない、

というのが実感だ。

その「人」の問題なのか、「仕組み」の問題なのか。

選ぶ「国民」の問題か。


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2011年10月05日

致知 10月号 特集「人物を創る」 11278

致知 10月号 特集「人物を創る」



★★★★★



今回も素晴らしい記事が満載。

これほど期待値を上げながら、

それを更に上回る致知出版社の皆さんに、脱帽。



今回、特に印象に残ったのは

(選ぶのが実に難しいが)




 【巻頭の言葉】
 ◎永平寺への参禅の旅
 中條高徳(アサヒビール名誉顧問)




 【対談】
 ◎経営者の器が企業を決める
 永守重信(日本電産社長)
 牛尾治朗(ウシオ電機会長)




 【対談】
 ◎森信三『修身教授録』に学ぶ人間学
 小宮一慶(小宮コンサルタンツ社長)
 三輪裕範(伊藤忠経済研究所長)




 【インタビュー/人物を創る】

 3、営業の達人は人生の達人
  加賀田晃(加賀田式セールス学校講師)




 ◎人間を磨き上げた先哲 小倉鐵樹の言葉に学ぶ
 蛭田雄峰(一九会道場長)




合氣道家として興味深かったのが、

小倉鐵樹先生の記事。



小倉先生の一九会ではその後を次いだ

日野鐵叟先生のもと、藤平光一先生が学ばれている。

胸を患った藤平先生が、決死の覚悟で一九会でみそぎの修行をされる

ところは実に印象深く残っていた。

その一九会がまだまだ健在なのだなぁ、と。

http://members2.jcom.home.ne.jp/ichikukai/index.html



一度は、この目で確かめてみたい。


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2011年09月29日

日本人の氣概/中條 高徳 11272

日本人の氣概 [ハードカバー] / 中條 高徳 (著); 致知出版社 (刊)


★★★★★




致知での中條高徳さんの連載を編集し、一冊の本にまとめたもの。



 おじいちゃんの「民族の遺言」である。


という、氣迫に溢れ、思わず椅子の上で正坐してしまった。



 このような我が民族の自制心を忘れず、

 しかも事にあたり我が身を顧みない勇氣、

 そして強いコミュニティ精神などに対して、

 外電は世界各国の賛辞を次々と報じている。

 

 豊かになるとともに我が民族にはこびっていた絆の乱れ、

 個の主張の虜になって無縁社会が到来し始めていた。

 この大きな災難がその生き様の綻びを氣づかせてくれた。

 所詮、人間は一人では生きられないという

 「生きる理」を教えてくれたのだ。

 まさに先人の説くとおり、「逆境は神の恩寵的試練」であった。


東日本大震災が起こったこと、多くの方が亡くなられたこと。

今なお行方不明者が数知れぬこと。

そして生き残った方々も喪失感に苛まれていること。

これを「単なる悲劇」にしてはならない。

残された我々は何を学ばねばならないのか。

改めて深く考えさせられた一冊。

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2011年09月08日

人生論としての読書論/森 信三 11251

人生論としての読書論 [単行本] / 森 信三 (著); 致知出版社 (刊)

★★★★☆




森信三先生の読書論。



森先生は「教師の為の読書論ではない」

と繰り返し仰ってはいるものの、やはり

「月三冊さえも読書をしない教師」がターゲットか。

読書の効用、読書の仕方などを懇切丁寧に説く。



驚くのは森先生は1日7時間も読書をされる、ということ。

やはり卓越されている方はしっかりと読書をされているのだなぁ、と思う。



読書の弊害、というのが、ちょっと痛い(苦笑)。

まとめると、

1.人間的暖かさに欠ける場合がある

2.いたずらに事態を分析し、その為勇断断行に欠けやすい

3.実践性の希薄化

だそうだ。



確かに、自分自身にも当てはまる。

読書で得たことをすべて実践していたら、

人生何回あっても足りけど、

そう思う性根がイカンのだろうなぁ。



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2011年09月01日

プロの条件―人間力を高める5つの秘伝/藤尾 秀昭 11244

プロの条件―人間力を高める5つの秘伝 [単行本] / 藤尾 秀昭, 武田 双雲 (著); 致知出版社 (刊)


★★★★☆



改めて、読み返す。



いつでも「プロ」でありたいと願っている。

そのプロの条件を、自分は満たしているだろうか。



 最後に一流といわれるプロに共通した条件をあげる。

 それは

 「神は努力する者に必ず報いる、と心から信じている」

 ということである。




 不平不満は

 それにふさわしい現実しか呼び寄せないことを知り、

 感謝と報恩の心で生きようとする。

 それが”一流プロ”に共通した条件であることを

 付言しておきたい。



先日、ある人に「苦労を知らなさそうだ」と言われた。

正直な話、あまり良い様には思わなかった。



でも、改めて考えてみると、

その場その場で精一杯生き抜くこと。

でもそれを辛いとは思わずありがたいと思うこと。

常に「感謝・感動」と「恩返し」の精神で生きること。

それが出来ていれば、「苦労」なんて滲み出るわけ無いよなぁ、と。

ああ、確かに「苦労を知らない」のかも(笑)。

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2011年08月25日

致知 2011年9月号:特集「生氣湧出」 11237

2011年9月号:「生氣湧出」



★★★★☆



今回も台湾の李登輝元総統をはじめ、

「これでもか」というくらいの凄いメンバーが登場。

致知をいつも読んでいると「凄い人」に馴れ過ぎてしまうのでは?

という心配をしてしまうくらい。



今月号で一番心に残ったのは、

シャープ創業者の早川徳次さんの記事。

シャープさんの本社は、大阪時代の現場や本部道場が

比較的近かったこともあり、馴染みのある場所。

シャープペンシルや液晶電卓、太陽光などで独創的な

発明、商品を発売しているユニークな企業だが、

早川徳次さんがこれほど過酷な人生を歩まれてきたとは

全く知らなかった。



現代の幼児虐待やDVもびっくりの子供時代にもめげず起業、

でも絶頂と思えたときに関東大震災で奥さんやお子さん二人、

そして工場も失う。

それでも一年後には現在の本社の場所で再起した、という。



「打たれ強い」などという安易な言葉では括りきれない、

早川徳次さんの氣合いはどこから生まれてきた、

どのように育まれてきたのだろう。



世の中には想像もつかないほど、

凄い方が無数にいるのだ。


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2011年08月16日

致知8月号 「リーダーの器量」 11228

致知8月号 「リーダーの器量」


★★★★★


3月に開催された「二十代・三十代のための

人間学養成講座」でスピーチをされた

野澤比日樹さんの「致知と私」が記事に。


ここで、彼が良いことを言っている。


 今サイバーエージェントの社員は、約二千人です。
 その二千人の社員のうち百人の幹部社員が「致知」を読み、
 人間力を磨いていくような会社になれば
 二十世紀のソニーやホンダのように、
 日本を代表する会社になれると信じています。


森信三先生が


 「致知の読者が十万人を超えたら、日本も少し変わるだろう」



とおっしゃったことを思い出す。

野澤さんも皆さんも(もちろん私も)、「この方は!」と思ったら

是非年間購読をプレゼントして差し上げて頂ければ。

そのときは「宗教関連の雑誌」と思われようと(笑)、

いつか心の奥に突き刺さる日が来るはず。




さて。今回で一番突き刺さり、悩ましいと感じた記事はこちら。

片田敏孝(群馬大学大学院教授)さんの言葉。




 「釜石の奇跡は、かくて起こった」

 釜石市内の小・中学校での防災教育は、
 年間五時間から十数時間行ったが、
 子供たちに教えたことを彼らの中だけで完結させてしまうと、
 家庭や地域へと広まってはいかない。

そこで私は授業の最後に次のことを問い掛けた。


「君たちは先生が教えてきたとおり、
  学校で地震に遭えば絶対に逃げてくれると思う。
  だけど、君たちが逃げた後に、
  お父さんやお母さんはどうするだろう?」


 すると、子供たちの表情は一斉に曇る。
 お父さんやお母さんは自分のことを大事に思うがゆえに、
 学校まで自分を迎えに来るであろうこと、
 そしてその帰結がどうなるかが想像できるからである。

 私は続けてこう話をした。

 「きょう家に帰ったら、お父さんやお母さんに
  君たちが教えてあげるんだ。

  『いざという時は、僕は必ず逃げるから、
   お父さんやお母さんも必ず逃げてほしい』

  と。そのことを心から信じてくれるまでちゃんと伝えるんだ」

 その日は授業参観日だったため、
 子供たちだけがいる場でそう言い聞かせた一方、
 保護者が集まっている場所へも行き、次のように話をした。

 「私が行った授業を踏まえ、子供たちはきょう、
 “いざという時は、僕は必ず逃げるから、
 お父さんやお母さんも必ず逃げてね”と一所懸命に言うと思う。

 あの子たちは、お父さんお母さんが、
 自分のことを心配してくれるがゆえに
 命を落としてしまいはしないかと心配している。

 でも皆さんも、子供たちが絶対に逃げてくれると
 信用できないと、自分一人で逃げるという決断が
 なかなかできないだろう。

 だから、その確信が持てるまで、
 きょうは十分話し合ってほしい」

 そして最後にこんな話をした。

 「東北地方には“津波てんでんこ”という言い伝えがある。
 津波がきたら、てんでんばらばらに逃げないと
 家族や地域が全滅してしまうという教訓だ。

 しかし、これを本当に実行できるだろうか。

 私にも娘が一人いるが、例えば地震がきて
 娘が瓦礫の下敷きになっていたとしたら、
 たとえ津波がくることが分かっていたとしても、
 たぶん私は逃げないと思う。

 どう考えても逃げることなどできない。

 にもかかわらず、先人はなぜこんな言葉を
 残してくれたのだろう。

 私はその真意を考えた。

 おそらくこの言葉には、津波襲来のたびに、
 家族の絆がかえって一家の滅亡を導くという
 不幸な結果が繰り返されてきたことが背景にある。

 その苦渋に満ちた思いとともに
 我々の先人が残してくれたのが、
 “津波てんでんこ”という言葉ではないか。

 その意味するところは、老いも若きも、
 一人ひとりが自分の命に責任を持てということ。

 そしていま一つの意味は、家族同士が
 お互いに信じ合っていることが
 大事だということではないだろうか。

 子供は、お母さんは
 必ず後からちゃんと迎えに来てくれると、
 お母さんを信頼して逃げる。

 一方、お母さんは、子供を迎えに行きたいが、
 我が子は絶対逃げてくれているという信頼のもと、
 勇氣を持って逃げる。

 これは家族がお互いに信用し合っていなければできない。

“津波てんでんこ”とは、
 自分の命に責任を持つということだけではなく、
 それを家族が信じ合っている。
 そんな家庭を築いておけ、という意味ではないだろうか」

 今回の震災で、釜石では市全体で
 約千三百人が亡くなったが、
 学校の管理下になかった五人を除いては
 全員が生き残ってくれた。

 さらにその三千人の小・中学生の親を調べてみると、
 亡くなったのは四十人程度で、
 全体から見ても少ない数となった。

 これは子供を通じて行った
 親や地域への防災教育の取り組みや
 “津波てんでんこ”の話が
 うまく伝わった結果ではないかと感じている。





自分勝手を勧めている様で、

何と奥深い先人の知恵か。



土壇場の土壇場で、連絡を取り合うことが無くても

お互いにどのような行動をとるかを手に取るように確信できる。

その絆の深さ。



この信頼関係を築けただけでも、

子育てや家庭を築くことは成就した、と言っても良いに違いない。
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2011年08月07日

運命を創る―「修身教授録」抄・10講/森 信三 11219

運命を創る―「修身教授録」抄・10講 [単行本] / 森 信三 (著); 致知出版社 (刊)

★★★★☆



「おっ、森信三先生の新刊か!?」と

図書館で見つけたので借りてくる。



よくよく表紙を見ると、

座右の書、

修身教授録―現代に甦る人間学の要諦 (致知選書) [単行本] / 森 信三 (著); 致知出版社 (刊)


の抄本だった。



確かに「修身教授録」はかなりボリュームがある本なのだが、

抜粋すると味わい深さがちょっと減ってしまったかな、と。



森信三先生って、誰?

と言う方にはお勧めできるかもしれない。

ここからエントリーして頂いて、

人生をよりよく生きたい、と思われる方には


修身教授録―現代に甦る人間学の要諦 (致知選書) [単行本] / 森 信三 (著); 致知出版社 (刊)




を是非読んで欲しい。



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2011年07月20日

小さな人生論―「致知」の言葉/藤尾 秀昭 11201

小さな人生論―「致知」の言葉 [単行本] / 藤尾 秀昭 (著); 致知出版社 (刊)

★★★★★




森信三先生は

「致知の読者が十万人を超えたら、日本も少し変わるだろう」

と仰ったそうだ。



私はそれを信じて、このブログでも、出会った方々にも

致知を勧め続けている。



でも、雑誌「致知」の表紙は、毎回号迫力がありすぎて(笑)、

また、書店では手に入らず年間購読が必須、であるので、

今まで馴染みのなかった方々には、やや敷居が高すぎる。



そこでお勧めしたり、プレゼントしたりするのが、

致知出版社社長が毎回著す巻頭のメッセージを集めた、

この「小さな人生論」。



先日の大阪府小河副知事をお招きしての講演会後の懇親会で、

本書が話題になったのでまた読みたくなった。




 節から芽が出る



 あるとき、いただいた挨拶状の片隅に、

 たった一言、この言葉がしたためられていた。

 当時、苦しい状況の中にあることを見越して

 ある方が添えて下さったのである。




 その言葉は天啓のように、心に響いた。




 ああ、そうか。

 人は望まないのに、苦しい状況や辛い目に遭うが、

 それは人生の節なのか。

 そしてその節から新しい芽が生まれてくるのか―

 心の中に、一筋の光が灯ったような喜びと感動があった。




 植物の生命はしばしば、大自然の摂理のなんたるかを、

 我々人間に教えてくれる。




 宇宙の哲理は奥深く、味わい深い。




これほど薄い本なのに、何度読んでも新しい発見が、ある。



今まではこの言葉を受け入れる「時」ではなかったのかもしれない。



でも今、この言葉に出会うべき時が、来た。



この出会いが嬉しくて、こうして読書を続けているのだなぁ、と。


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2011年07月18日

グロービス経営大学院 致知の会 大阪府小河副知事をお迎えして

グロービス経営大学院の卒業生・在校生で

致知を共に読み学ぶ会を月一回開催している。



6月号に大阪府の小河保之副知事の記事があった。

主要メンバーのお一人が大阪府のグロービス卒業生に相談したところ、

「小河副知事ならよく知っている!」とのことで、

私達のために手弁当で東京までお越しになって講演会を開いていただくことに。



20人弱という濃密な空間で、小河副知事のお話をお伺いする貴重な機会を得た。



大阪府の中でも保守本流とも言える土木畑を歩まれ、

紆余曲折はありながらも大阪副知事まで登りつめられた方のお話は

学ぶべきところが多かった。



特に印象に残ったのは、

「随所で主となる」

という臨済録に登場する言葉。



よく知っている言葉であり、それなりに心がけている言葉であったつもり。

でも、自分にとっての「随所で主となる」は

全然甘かったな、と。



言葉だけでは伝わらないもの。

致知に登場されるのほどの方が発する迫力、氣を

身近で体感する、素晴らしい会だった。


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2011年06月29日

致知 2011年7月号 特集「試練を越える」 11180

致知 2011年7月号 特集「試練を越える」

★★★★☆




今回も震災関係の記事が多く、

心打つやら励まされるやら。



でも、今回の震災もショッキングな出来事であったが、

私の原体験はやはり阪神大震災。



鈴木秀子さんの記事に涙する。




 人生を照らす言葉

 地鳴りの中で静かに響いてきた歌声


 一九九五年の阪神・淡路大震災の時のことです。
 地震発生時、Kさんはまだ布団の中にいました。
 突然の激震。あっと思う間もなく家は大きく崩れ、
 同じ部屋に寝ていた奥さんとの間に
 ドーンと何かが崩れ落ちてきて
 夫婦は身動きが取れなくなりました。

 Kさんは大きな声で隣にいる奥さんに声を掛けました。
 しかし返事はありません。
 続いて別の部屋で寝ていた
 幼い二人の子供たちの名前を呼びましたが、
 やはり何の反応もありませんでした。

 Kさんは必死になって家族一人ひとりの名前を呼び続けました。
 声を枯らして叫び続けましたが、
 やがて力尽きていくのを感じました。

 目の前で起きた出来事の重大さが
 分かってくるにつれて心が茫然となり、
 声を出そうという氣力すら失せていったのです。

 やがて氣を取り直したKさんは、
 再び氣力を奮い起こして、何度も何度も
 傍にいるはずの奥さんの名前を呼びました。
 それでも、反応はありません。

 「やはり駄目だったか」

 Kさんは心の中で呟きました。

 どのくらい時間がたったのでしょう。
 諦めかけたKさんの耳に入ってきたものがありました。

 余震の地鳴りの音にかき消されて
 はっきりは聞き取れないものの、
 それは明らかに奥さんの声でした。

 かすかな声で何かを歌っているようです。

 耳を澄まして聞いているうちに、
 それが「故郷」であることが分かってきました。


 兎追いしかの山
 小鮒釣りしかの川
 夢は今もめぐりて
 忘れがたき故郷

 如何にいます父母
 恙なしや友がき
 雨に風につけても
 思いいずる故郷

 こころざしをはたして
 いつの日にか帰らん
 山はあおき故郷
 水は清き故郷


 奥さんは声楽科を出ていて、
 時折舞台でも歌声を披露していたのです。
 おそらく朦朧とした意識の中で、
 この歌を口ずさんでいたのでしょう。

 最初は喘ぐかのように細々としていた歌声は、
 やがて生きようという
 ひたむきな歌声に変わっていきました。

 地響きの音が消えた静寂の中、
 瓦礫の中に差し込んできた
 一条の朝日に照らされて聞こえてくる歌声は、
 まるで大宇宙を満たしているかのようだったといいます。

 こころざしとは自分の生を輝かせること

 歌声は何度も繰り返されました。
 そして「如何にいます父母」という言葉に差し掛かった時、
 Kさんは不思議な感覚に包まれました。

 亡くなったそれぞれの両親が
 突然目の前に現れたかのように感じたのです。

 それはあまりにはっきりした感覚で、
 まるで全身を火の矢で射抜かれたかのような衝撃でした。

 「ああ、両親が助けに来てくれたんだ。
 瓦礫から守ってくれただけでなく、
 いつも見守ってくれていて、
 この世を生きていく上での重石やしがらみを
 取り去ってくれているんだ」

 そう思うと、涙がポロポロと流れました。

 奥さんの歌はやがて三番の歌詞に移っていきます。

 「こころざしをはたして、いつの日にか帰らん」。

 Kさんは、自分が人生の旅路を終えて
 どこに帰るのかと考えた時、
 それは父母のいるところだと理屈抜きに理解しました。

 そして「こころざし」というのは立身出世のことではない。
 この世にいて自分の生を輝かせることだ、
 愛を持って生きることだとはっきりと気づくのです。

 Kさんは瓦礫の中にあって悟りにも似た確信を得ました。
 人間は誰しも大宇宙に生かされた存在であり、
 自分も奥さんも亡くなった両親も、
 ともに深いところで命という絆で結ばれていること、
 生きているうちに身につけた地位や財産は儚く消え去り、
 この世の生を全うした後は魂の故郷に帰っていくということ……。

 Kさんは奥さんの歌声に引き込まれるかのように
 自分も一緒に歌い始めました。
 最初は小声で歌っていたものの、
 奥さんがKさんの歌声に氣づいて
 一緒に調子を合わせ始めたことに氣づくと、
 力いっぱいに歌うようになりました。

 二人の合唱は瓦礫の壁を突き破るかのように響き、
 間もなく二人は救助されるのです。

 残念なことに二人の子供たちは命を失っていました。
 しかしKさんは私にはっきりとこうおっしゃったのです。

 「たしかに悲しいことですが、子供たちは
  自分の使命を終えて魂の故郷に帰っていったのだと思います。
  子供たちは、人間というものは永遠の世界に向かって
  旅を続けている存在であることを
  命に替えて私たちに教えてくれたのです」と。

 Kさんは「故郷」の歌で子供たちを天国に送り、
 亡くなった子供たちの分まで命を輝かせて生きることを
 奥さんと誓いながら明るく生きておられます。



Kさんのような極限状態で、

自分は何を感じ何を思うのだろうか。


 Kさんは「故郷」の歌で子供たちを天国に送り、
 亡くなった子供たちの分まで命を輝かせて生きることを
 奥さんと誓いながら明るく生きておられます。



ここで涙溢れ、止まらない。

自分はそこまで悟れそうにない、悟りたくもないと、
正直思った。


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2011年06月26日

己を修め人を治める道―「大学」を味読する/伊與田 覺 11177

己を修め人を治める道―「大学」を味読する [単行本] / 伊與田 覺 (著); 致知出版社 (刊)

★★★★★



「大学」を学んでみたいと思って。



安岡正篤先生のご著書や致知の記事には

度々「大学」が登場する。

「修己治人の学」といえば、マネジメントにも通じそうだ。

一度ちゃんと読んで見なければと思っていた。



伊與田先生の解説を読めば何とか分かるのだが、

白文を読むとさっぱり何だか分からない。



「読書百遍自ずから意通ず」

の先人の知恵のとおり、何度も読んで味わってみよう。

その価値は、ありそうだ。


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2011年06月25日

幸せになるキーワード/鈴木 秀子 11176

幸せになるキーワード [単行本] / 鈴木 秀子 (著); 致知出版社 (刊)


★★★★★




致知で毎回連載をされている、

シスター鈴木秀子さんの本。

心の琴線に触れるような記事が多かったので、

いつかこの方の本を読んでみたい、と思っていた。




 何事にも時があり

 天の下の出来事にはすべて定められた時がある

 生まれる時、死ぬ時

 植える時、植えたものを抜く時

 殺す時、癒す時

 破壊する時、建てる時

 泣く時、笑う時

 嘆く時、踊る時

 石を放つ時、石を集める時

 抱擁の時、抱擁を遠ざける時

 求める時、失う時

 保つ時、放つ時

 裂く時、縫う時

 黙する時、語る時

 愛する時、憎む時

 戦いの時、平和の時





順境な時しかない人生など、あるわけがない。

逆境の時、どう振舞うべきか。



逃げるのでもなく、徒に嘆くのでもなく、

あるがままを受け止め、受け入れながら生きていく。



これこそ、人生の達人、だ。


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2011年06月22日

森信三小伝/寺田 一清 11173

森信三小伝 [単行本] / 寺田 一清 (著); 致知出版社 (刊)


★★★★☆




不朽の名作、

修身教授録―現代に甦る人間学の要諦 (致知選書) [単行本] / 森 信三 (著); 致知出版社 (刊)


の森信三先生の伝記。



森信三先生のその深い思想の

バックグラウンドを知ることができる、

貴重な本。



森信三先生は大戦時、

満州などで大変なご苦労をされたことは知っていた。

その辛苦が、晩年に名著「修身教授録」を書かせたのだと、

勝手に思い込んでいた。



ところが、あの素晴らしい修身教授録は、

何と渡満される前、38歳の時に書かれていたことを知ったのが

もっともショックだった。


どうすれば、30代であれほどの

成熟の域に達せられるのだろう。



不惑になっても相変わらず、

迷ってばかりの私が、ここにいる。

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2011年06月06日

子どもが育つ「論語」/瀬戸 謙介 11157


子どもが育つ「論語」 [単行本] / 瀬戸 謙介 (著); 致知出版社 (刊)

★★★★★



致知にもよく登場する、

論語を教える空手家、瀬戸謙介先生の本。



空手道を教えるだけじゃない、

強くなることだけを身に付けさせるのではない。

空手道と論語を通じて「君子」を育てよう、

という、実に素晴らしい取り組み。



この本を読んで、

改めて子供たちへの教育を反省する。

「時務学」にちょっと偏っていたかな、と。

如何に生きるべきか、如何にして君子に成るか。

私もまだまだ修行のみなれど、

子供たちと共に学んでいけたら、と思う。

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2011年06月03日

「中庸」に学ぶ―運命を拓く立命の書/伊與田 覺 11154

「中庸」に学ぶ―運命を拓く立命の書 [単行本] / 伊與田 覺 (著); 致知出版社 (刊)


★★★★☆




四書の一つ。

致知にはよく登場するので

以前から読んでみたいと思っていた。



勝手に想像していたのは、

その名称から、物事のバランスを説く、

どちらかと言うと無為の奨め、のようなものかと。



 このように、一見「中庸」というと「なかごろ」と

 解釈しやすいのですが、実はその中で、

 それぞれにおいて徹底的に突き詰めていくことが

 大切である、といっているのです。



これは読んでみないと分からなかった。




 人一たび之を能くすれば、己之を百たびし、

 人十たび之を能くすれば己之を千たびす。

 果たして此の道を能くすれば、

 愚なりと雖も必ず明らかに、柔と雖も必ず強なり。



 他人が一回でできることが、自分にはなかなかできなければ、

 私はこれを繰り返し百回行い、百倍の努力をする。

 他人が十回でできることを自分ができなければ、

 千回努力をする。



これは実に素晴らしい言葉だ。

自分の子供の頃を思い出した。



私は勉強もスポーツも出来ない子供だった。

他人と同じだけやっても、全然成果が上がらない。

なぜ自分はこれほど出来ないのだろう、

と結構苦しかった覚えがある。



でも人様の何倍も頑張れば、

どんなことでも何とか成ることに

氣がつき始めてからすべてが好転した。



このブログも同じ。

まずは黙々と数をこなすこと。

そうすれば、



 愚なりと雖も必ず明らかに、柔と雖も必ず強なり。


となれるはず。

一度決めたことを愚直に続けることに

こだわり続けたい。




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2011年06月02日

心に響く言葉―一言よく人を生かし一言よく運命を導く/藤尾 秀昭 11153

心に響く言葉―一言よく人を生かし一言よく運命を導く [単行本] / 藤尾 秀昭 (著); 致知出版社 (刊)


★★★★★






致知出版社の「人間力メルマガ」
の中から選ばれたものが、本になった。



メルマガで読むのと、本で読むのとは

また全く違った味わいがある。




 もう一つ、私自身の心に残った泰道先生の言葉。




 「仏教は人がよりよく生きるための教えといいますが、

 仏教はいかに生きよと教えているのか。

 仏教の究極の教えはなんでしょうか」

 という質問に泰道先生は




 「上求菩提

  下化衆生」

 

 と答えられました。




 上求菩提とは、己の人間性を向上させること。

 下化衆生とは、少しでも世のために尽くす、ということです。




このメルマガは、よく覚えている。



会社のパソコンで朝一番に読むのだが、

仕事に取り掛かる前に、心が震えたことを思い出した。



 「上求菩提

  下化衆生」



この言葉、胸に刻み付けたい。 

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